2020年11月29日日曜日

カルロス・ゴーン氏の事件に関する国連人権理事会作業部会による意見(試訳)

国連人権理事会作業部会は、カルロス・ゴーン氏に対する拘禁をめぐる申立てに対し、先日意見を公表した。ゴーン氏の逃亡をなんら正当化するものではないと断った上で、起訴前勾留、公判前勾留のあり方や、取調べにおける弁護人の不存在、勾留の基礎となる資料にアクセスできない問題、さらに刑事施設での処遇や手錠腰縄による無罪推定を受ける権利の侵害など、多岐にわたり問題を指摘し、厳しく批判している。

政府が述べるように、意見書は、勾留に対する司法審査(特に勾留質問)や勾留決定に対する不服申立て制度が看過されており、事実誤認があるようにも読める。しかし、その責任は、作業部会ではなく政府にあるようにも思われる。作業部会が指摘するように(パラ53)、公判前であることを理由に政府が実質的な内容を伴った反論をせずに、条文の説明に終始した。司法審査が実質的に機能していることをきちんと説明して理解を得ようとしなかったからこそ、このような認定になったのではないか(なお、意見書は、勾留に対する司法審査があまりに形式的なもので、形骸化していることを捉えて述べているようにも思われ、単なる誤りとも思われない。この点については別に論じることとしたい)。

日本の報道を見ると、「政府が異議を申し立てた」という点ばかりが取り上げられている。しかし。意見書の内容を真摯に受け止め、よく検討し、日本の刑事司法制度のあり方について考える機会にすべきだ。
意見書の和訳はあまり目にしないため、議論の材料とするため、一部(パラグラフ50以下)を試訳した。誤りがあればぜひご指摘いただきたい。また、その都度修正することをご容赦いただきたい。

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以下訳

検討

50 作業部会は、資料を提出した情報源及び日本政府に感謝の意を表する。 

51 提出された主張を検討する前に、作業部会は、いくつかの前段階の論点について言及したい。第一に、作業部会は、最初の通信が通常の手続の下でなされて以来、ゴーン氏が2019年12月に逃亡したため日本にいないことに留意する。このことは、作業部会が意見を採用する妨げとならない。なぜなら、このような状況における事件の検討を禁止する規定が作業方式の項目に存在しないからである。実際に、作業部会は、日本におけるゴーン氏の自由の剥奪に関する主張が重大であり、さらなる注意に値すること(注7)、また、この事件が日本の刑事司法の重要な側面に関係することを考慮すると、意見を出すことが必要であると考える。さらに、作業部会は、政府の多大なる関与にもかかわらず、いまだに日本への訪問に招聘されていないことを考慮すると、これまでに分析する機会がなかった事件の要素について判断したいと考える。

52 第二に、作業部会は、この意見を提出するにあたり、ゴーン氏が日本当局の管轄から逃亡した状況について、何らの意見を表明しないことを強調する。作業部会が、このような逃亡を容赦し、あるいは正当化するものだと受け取られるべきではない。作業部会は、ごく最近、2019年9月の42/22決議によって3年間期間が延長された決議1991/42において人権理事会が規定している通り、恣意的拘禁または関連する国際基準に反する拘禁の事件を調査するという付託を実行することとする。作業部会は、全ての加盟国が、経済犯罪に関する深刻な犯罪事実を含め、罪を犯した責任に問われる者を捜査し、訴追し、処罰する義務を負っていると認識する。しかし、本件では、作業部会の意見は、ゴーン氏に対する手続の対象となる訴追事実に関するものではなく、これらの手続が実行された条件に関するものであり(注8)、これは付託と完全に合致する。

53 第三に、作業部会は、申立てに対する当初の回答に言及され、その後の回答において説明されている、日本政府の立場に留意する。すなわち、日本政府は、手続が始まる前に裁判に関する情報を公表することを日本法は許容していないとして、ゴーン氏に関する情報は提供できないというのである。しかし、作業部会が過去に、日本の法制度に関する意見の中で述べた通り、政府が国内法によって国家当局の行動に関する詳細な説明を提供できないと主張するのでは不十分である(注9)。作業部会はさらに、その意見の中で、世界中の恣意的逮捕及び勾留の被害者のニーズに応えるために、そして加盟国がお互いに説明責任を果たすために作業部会が創設されたこと、したがって加盟国は、被害者によって提起された紛争を解決するメカニズムを提供するよう意図しなければならないことを説明した。このことは、国家が作業部会に十分に協力することを決議33/30において明らかにした通り、人権理事会の意図するところでもある。したがって、作業部会は、政府ができる限り十分な情報を部会に提供した上で、政府からの回答を得ることを通常予定していた。国内法により詳細な情報を提供することができないという日本政府の主張は、こうした要求に適合しない(注10) 。 

54 第四に、ゴーン氏の自由の剥奪が恣意的であったかどうか判断するにあたり、作業部会は、証拠に関する論点について法的に確立された原則に留意する。もし情報源が、恣意的拘禁を構成する国際法違反について一定程度の証拠を提出した場合には、その主張を否定するためには政府が証明責任を負う。手続が合法的に行われたとだけ政府が主張するのでは足りない(注11)。本件では、日本政府は、情報源の多くの主張に対して実質的な回答をせず、適正手続の保障を含む立法の引用に終始した(注12)。とはいえ、拘禁が国内法に則って実行されたという場合であっても、作業部会は、拘禁が、国際人権法と一致しているかどうかを評価しなければならない(注13)

55 最後に、ゴーン氏の自由の剥奪が恣意的であったかどうかを判断する以前に、ゴーン氏が実際に自由を奪われた期間に関する、前段階の問題がある。情報源によれば、ゴーン氏は、2018年11月19日の最初の逮捕以降、2019年3月5日に初めて保釈により釈放されるまでの間警察拘禁及び公判前勾留されていた。そして、2019年4月4日から、2回目の保釈により釈放される同月25日までの間警察拘禁されていた。合わせると、これらの2つの期間は128日に及ぶ(注14)。 

56 これに対し、情報源は、2018年11月19日の逮捕以降、保釈により釈放された2019年3月5日から4月4日までの期間、そして、2019年4月25日以降の期間も含めて、ゴーン氏の自由が制限されていたとさらに主張する。情報源によれば、行動と意思疎通の自由に課されていた制限の厳しさを考えると、ゴーン氏は、特に2019年4月25日以降、自宅軟禁されていたという。日本政府はこの点について言及しなかった。 

57 ゴーン氏に課された保釈条件には、巨額の保釈保証金の納付、パスポートの提出、日本からの出国禁止、日本国内の場合は裁判所の事前許可なき3日以上の旅行禁止、裁判所に承認された住所での居住義務、配偶者との直接の接触禁止、弁護士に提供された携帯電話とパソコン以外の使用禁止、使用できる場合であっても監督下に置かれること、通話記録、インターネットの検索記録及び弁護士以外の者との面会記録を毎月裁判所に提出する義務が含まれていたという主張について、日本政府は争わなかったものと作業部会は認識している。

58 本件では、ゴーン氏に科された保釈条件は非常に厳しかった。特に、弁護士を介する以外には、裁判所の許可なく直接配偶者とコンタクトを取ることを無期限に禁止されていたという、2回目の保釈期間中に科されていた条件は異常に厳しいものだった(注15)。しかし、作業部会は、こうした状況が自宅軟禁に相当するという情報源の主張には賛同しない。それは、むしろ警察及び司法によるコントロールだった。

59 作業部会は、2018年11月 19日から2019年3月5日までの間、及び4月4日から同月25日までの間、警察拘禁及び公判前勾留におけるゴーン氏の自由の剥奪が恣意的であったかを判断する。

 i. カテゴリーI

60  情報源は、ゴーン氏に対する4回にわたる拘禁が、刑事上の罪に問われて逮捕または勾留された者は裁判官の面前に速やかに連れて行かれなければならないと定める自由権規約9条3項に違反すると主張する。情報源によれば、ゴーン氏は、2018年11月19日に最初に拘束されてから23日後(注16)である2018年12月10日までの間裁判官のもとに連れて行かれなかったという。2018年12月10日に、裁判所の面前に連れて行かれることのないまま2度目の勾留がなされ、さらに3回目として2018年12月21日から2019年1月11日までの間勾留され、この日に裁判所の面前に連れて行かれて起訴された(注17)
最後に、2019年4月4日、ゴーン氏に対する4回目の逮捕が行われた。ゴーン氏は裁判官の面前に連れて行かれ、21日後の4月25日に起訴された。日本政府は、これらの主張に対して、日本の刑事訴訟法の下で確立された手続に一致しないと述べる以外には言及しなかった。 

61 自由権規約委員会が述べてきたとおり、48時間は、逮捕後拘禁された者を裁判官の面前に「速やかに」連れて行くことを求める自由権規約の要請を満たすのに通常十分であるとされる。それ以上に長い遅滞は、絶対的な例外でなければならず、特定の状況において正当化されるにすぎない(注18)。こうした要請の目的は、司法当局が勾留の法的根拠を検討し、もしそのような法的根拠が存在しない場合には、個人を釈放するよう命じることを可能にするという点にある(注19)

62 作業部会は、裁判官の面前への速やかな引致を定める9条3項における要請は、ゴーン氏に対する4回にわたる逮捕それぞれに妥当すると判断する。最初の逮捕は、ゴーン氏に対する最初の拘禁であり、速やかに裁判所の面前に連れて行かれなければならなかった。2回目及び3回目の逮捕は、警察拘禁の期間の最後になされた。情報源によれば、いずれの逮捕も、23日という警察拘禁の期間制限を迂回し、当局がゴーン氏を勾留し続けることを意図してなされたという。3回目の逮捕は、前日にゴーン氏を釈放する命令が出たにもかかわらず実行された。この点において、ゴーン氏の2回目及び3回目の逮捕に続く警察拘禁の合法性には、重大な疑問が生じるのであり、拘禁の司法審査を受けるためにゴーン氏は速やかに裁判所の面前に連れて行かれなければならなかった(注20)。さらに、ゴーン氏の4回目の逮捕は保釈による釈放の後になされたものであり、自由権規約9条3項の要請が適用される。 

63 したがって、作業部会は、逮捕に後行した22日、10日、19日、21日に及ぶ各拘禁は、裁判官の面前に連れて行かれずになされたものであり、自由権規約9条3項に違反すると判断する。 

64 同様に、情報源によれば、そして日本政府は争っていない点であるが、ゴーン氏は、これらの4つの拘禁期間中、裁判所の面前で勾留を争うことができなかった。情報源によれば、日本法の下では、個人は起訴されなくても最大23日間勾留され、起訴されるまでの間釈放を求めることができないという。その結果、ゴーン氏は、起訴されるまで裁判所に釈放を求めることが許されていない。彼は、2019年1月11日及び同月18日に釈放を請求した。既に述べたとおり、拘禁の合法性を争うために裁判所に手続を求める権利は、最初の段階から拘禁の法的根拠に対する司法審査を確保する基本的な保障として、逮捕の最初の瞬間から適用される(注21)。ゴーン氏に対するこの権利の保障が遅れたのは、自由権規約9条4項違反を構成する。

65 さらに情報源は、ゴーン氏の事件が裁判所に提起されたとき、裁判所は、勾留に対して実際の審査を行使しなかったと主張する。情報源によれば、検察官の勾留請求を日常的に認容する刑事司法制度の一部として、裁判所は、徹底的な審査を経ることなくゴーン氏の拘禁を追認した。ゴーン氏の拘禁に対する審査として、裁判所は、ゴーン氏が最初に保釈により釈放された2019年3月5日より前の公判前勾留について、代替的な手段を検討するべきであった。

66 作業部会は、公判前勾留は原則ではなく例外でなければならず、出来る限り短期間でなければならないという、国際法の確立された基準を想起する(注22)。自由権規約9条3項は、「裁判を待つ者を抑留することが原則であってはならないが、釈放にあたっては、裁判その他の司法上の手続の全ての段階における出頭が保障されることを条件とすることができる」と定める。これは、自由が原則であると認められ、勾留が例外であることが正義にかなっているという考えに基づく(注23)。 

67 この原則を実行するためには、公判前勾留は、個別的な判断に基づくものでなければならず、逃亡、証拠の工作または再犯の防止という目的に照らして合理性及び必要性がなければならない(注24)。裁判所は、保釈のような拘禁の代替手段によって身体拘束が不必要となるかどうかを判断しなければならない(注25)。情報源によれば、ゴーン氏の保釈請求は、2019年1月15日及び同月22日に却下され、2019年2月28日になされた3回目の保釈請求によって、2019年3月5日に釈放されることとなった。日本政府は、それぞれの場面における保釈の反対について理由を説明していない。説明がないために、作業部会は、ゴーン氏の公判前勾留が自由権規約9条3項に則って適切になされたという議論を受け入れることができない。さらに、拘禁されている者は、起訴前勾留に対して保釈を請求することが許されていないために、裁判所が、ゴーン氏に対する起訴がなされる前の勾留について代替手段を検討することにより9条3項を遵守することは不可能である。作業部会は、代用監獄を廃止し、あるいは勾留に対する代替手段が起訴前勾留の期間中に十分に検討されるべきという動きに賛同する(注26)。 

68 最後に、作業部会は、ゴーン氏が、2018年11月18日から2019年4月まで続く逮捕において、当局のもとに置かれていたという事実に留意する。繰り返された逮捕の必要性に関する日本政府からの説明がないため、作業部会は、この勾留の展開パターンは、国際法上の法律上の根拠のない、手続の裁判外の濫用(an extrajudicial abuse of process)であったと判断する(この点については、カテゴリーIIIでさらに検討する)(注27)。 

69 以上の理由から、作業部会は、当局は、ゴーン氏の拘禁に対する法律上の根拠を立証しなかったと判断した。自由の剥奪は、カテゴリー1において恣意的であった。

 ii. カテゴリーIII 

70 情報源は、ゴーン氏の勾留は、結果的に、23日の警察拘禁の期間制限を迂回する不公正な方法として用いられたと主張する。情報源によれば、検察官は、2つの期間(2010年から2014年、及び2015年から2017年)の収入減少の公訴事実に人為的に分けた上で、1回目及び2回目の逮捕を行い、それぞれ23日間の勾留を可能にした。さらに、当局は、拘禁した件について手続を進めることなく、既に把握していた10年前に遡る事実を理由に、2018年12月21日にゴーン氏を3回目の逮捕をした。最後に、ゴーン氏は、検察官がずっと前から把握していた事実によって、2019年4月4日、4回目の逮捕をされた。

71 これに対する回答として、日本政府は、刑事訴訟法60条及び208条により、被疑者勾留は、厳格な司法審査を経て、刑事訴訟法に規定されている期間に限り許されていると主張する。同様に、日本政府は、被疑事実の告知や、勾留理由開示請求権、及び勾留取消請求権をはじめとする刑事訴訟法上のその他の保障についても主張する。これらの保障は重要であるものの、日本政府は、情報源の主張に対して直接反論しなかった。

72 政府からの他の説明がない以上、ゴーン氏に対して繰り返された逮捕は、彼を確実に拘束することを意図した手続の濫用のように思われる。情報源によれば、司法当局は、2018年12月20日同様の結論に達し、ゴーン氏をさらに10日勾留すべきという請求を却下した。そのような判断にもかかわらず、ゴーン氏は翌日3回目逮捕された。作業部会は、ゴーン氏を4回にわたり逮捕勾留する手続が、根本的に不公正であり、自由を回復することを妨げ、後述する通り弁護人と自由に意思疎通する権利を含む公正な裁判を受ける権利を侵害されたと結論する。こうした不公正な手続上の措置を考慮すると、作業部会は、本件を裁判官及び弁護士の独立性に関する特別報告者に付託することとする。

73 さらに、情報源は、ゴーン氏が、「人質司法」と呼ばれる、勾留の制度的パターンのもとで勾留されていた、このような制度の下では、被疑者が過酷な条件下で長期間勾留され、その結果心理的に圧迫されて自白することになると主張する。情報源によれば、ゴーン氏が勾留されていた環境、具体的には独房で、運動を阻害され、常に照明がつけられ、暖房がなく、家族や弁護士との意思疎通が制限されている(注28)という環境が自由権規約10条1項に違反しており、自分で効果的に弁護する能力が損なわれていたという。その結果、ゴーン氏は、自分に対する被疑事実に関する事実が列挙された日本語の文書に署名した。情報源によれば、ゴーン氏は、文書について口頭による同時通訳が提供されただけで、署名したとき弁護人は立ち会っていなかったという。 

74 これに対する答弁として、日本政府は、任意にされなかった自白の証拠としての使用禁止及び自白だけを根拠とする有罪認定の禁止を定める日本国憲法38条及び刑事訴訟法319条に言及する。日本政府によれば、検察官が自白のみに依拠することは決してなく、正当な証拠に基づいて有罪の高度の蓋然性があると判断する場合にのみ刑事訴追するという。また、日本政府は、刑事施設及び受刑者の処遇に関する法律における、未決拘禁者の処遇、運動、拘束具及び面会に関する数多くの規定を引用する。 

75 作業部会は、ゴーン氏が自分に対する訴追事実に関して供述するよう効果的に強制するような状況で勾留されていたこと、したがって、自由権規約14条2項の保障する無罪推定を受ける権利、そして同14条3項の保障する自己に不利益な供述または有罪の自白を強要されない権利が侵害されたことを、情報源が一定程度立証したと判断する。被告人による供述が、直接間接を問わず、捜査当局による身体的または不当な心理的圧力によってなされたのではなく、自分の意思によってなされたものであること(注29)を証明する責任は、日本政府が負う。しかし、日本政府はそうしなかった。 

76 この結論に至るにあたり、作業部会は、その他の人権機関が、自白に過度に依拠する代用監獄における取調べと勾留の運用実務が、公正な裁判を受ける権利を重度に侵害し、被拘禁者を拷問、虐待及び強要にさらしていると認定していると理解している(注30)。実際に、作業部会は過去に、同様の懸念を表明し、不十分な司法審査の下での過度に広範な検察官の裁量によって、差別的な法律の適用につながる環境をもたらしていると注記した(注31)。作業部会は、本件を、拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰に関する条約の特別報告者に付託することとする。 

77 情報源はさらに、ゴーン氏が検察官による取調べを連日受け、時には1日に複数回、平均5時間続き、弁護人が立ち会っていなかったと主張する。検察官は、弁護人が拘置所を尋ねることができない時間帯を含め、いつでもゴーン氏を取り調べることができた。ゴーン氏は、30分を超えて日本国外の弁護士と話すことができず、やりとりをメモする職員が立ち会っていたために、意思疎通も秘匿されなかった。ゴーン氏は、主張に対するアクセスも否定され、取調べ中に尋ねられた質問を根拠に検査官の捜査を再構成しなければならなかった。この主張に対する回答として、日本政府は、刑事訴訟法39条1項について言及する。この規定は、被疑者が逮捕後速やかに弁護人を選任し、第三者の立会なく面会する権利を規定する(注32)。日本政府は、この規定が本件にどのように適用されるかに関しては何もコメントしなかった。

78 自由を奪われた者は誰でも、逮捕直後を含め、拘禁中いかなる時においても、自分の選んだ弁護士による法的援助を受ける権利を有し、弁護人に対するアクセスは遅滞なく行われなければならない(注33)。作業部会は、ゴーン氏に対して初めから弁護人にアクセスする機会を提供せず、その後日本国内及び国外の弁護士との面談を制限したことは、自由権規約14条3項(b)の規定する防御の準備のために十分な時間と便益を与えられた上自分の選任した弁護人と連絡する権利を侵害したと判断する。弁護士との面会が、見えることは許されても当局に聞かれることが許されてはならない。弁護士とのすべての意思疎通は秘匿されなければならない(注34)。主張に対する平等なアクセスが与えられなかったことも、武器対等の原則を侵害する(注35)。作業部会は、日本政府に対し、刑事被告人が拘禁の初めから、そして取調べの間に弁護人にアクセスできるようにすることを強く求める。

79 最後に、情報源は、ゴーン氏が2018年11月19日に逮捕された際、報道記者たちが事前に逮捕について知らされていたために、有罪であるように伝えられたと主張する。情報源によれば、ゴーン氏が2019年4月4日に4度目の逮捕をされた際、検察官が報道記者やカメラマンたちを伴ってやってきて、彼らが逮捕の場面を写真に記録して、広くばらまいたという。これらの要素は、社会がゴーン氏に対して否定的なイメージを持つことにつながった。さらに、2019年1月8日に東京地方裁判所に出頭した際、手錠され、腰紐でつながれていたという。

80 これに対し、日本政府は、事件に関する情報が報道機関に意図的にリークされたという主張には何ら根拠がないと主張する。日本政府は、刑事施設及び受刑者の処遇に関する法律78条に言及し、施設職員が被拘禁者に付き添う際又は被拘禁者に逃亡や自傷、第三者に対する加害又は器物損害の危険がある場合には、拘束具を使用することが許されるという。 

81 作業部会は、裁判の結果について先入観を持たせることを控えるのが当局の義務であるということ、そして報道機関は、無罪推定を損なうような報道を回避すべきであることを想起する(注36)。ゴーン氏の逮捕の場面の画像が広く流布されたことを考慮すると、報道機関は事前に知らされていた可能性がある。作業部会は、こうした画像が、このような著名事件において、ゴーン氏に対して社会が否定的なイメージを持つ一因となり、自由権規約14条2項の保障する無罪推定を受ける権利を侵害したという可能性を排除できない。さらに、ゴーン氏が裁判所に出頭する際に拘束具が必要だった理由を日本政府が説明しないために、作業部会は、手錠と腰縄の使用が、無罪推定を受ける権利をさらに侵害したと認定する。刑事被告人は、無罪推定が損なわれることから、危険な犯罪者であるかのように示唆する方法で裁判所に出頭させられるべきではない(注37)

 82 作業部会は、ゴーン氏の拘禁がカテゴリーIIIの言う恣意的な性格であったといえる程度に、これらの公正な裁判を受ける権利の侵害が深刻なものであったと結論づける。

 83 作業部会は、日本政府と前向きに力を合わせ、恣意的な自由の剥奪に関する重大な懸念に取り組む機会を歓迎する。2016年11月30日、作業部会は、日本を訪問する機会を求め、ジュネーブにある国際連合日本代表本部との会合の間に、こうした訪問の可能性について検討するよう誓約したことを歓迎する。2018年2月2日、作業部会は、訪問についてさらに求めた。人権理事会の特別手続への協力を強化すると言う意図の表れとして、日本政府からの積極的な回答に期待する。

 処分

84 上述の観点から、作業部会は次の意見を提出する。  

2018年11月19日から2019年3月5日まで、及び2019年4月4日から同月25日までの間のカルロス・ゴーン氏の自由の剥奪は、世界人権宣言9条、10条、11条1項、自由権規約9条、10条1項及び14条に違反し、恣意的であり、カテゴリーI及びIIIに妥当する。
 
85 作業部会は、日本政府に対し、カルロス・ゴーン氏の状況を改善し、世界人権宣言及び自由権規約をはじめとする、関連する国際基準に適合させるために必要な措置を遅滞なく講じるよう求める。

 86 作業部会は、本件のすべての状況を考慮すると、適切な回復措置として、国際法に従い、補償及びその他賠償を求める強制執行が可能な権利をゴーン氏に与えるべきであると判断する。

 87 作業部会は、日本政府に対し、ゴーン氏の恣意的拘禁に関する状況について完全かつ独立した調査を確実に行い、彼の権利を侵害した責任にある者に対して適切な措置を講じるよう強く要請する。

 88 作業の方式に関する規定33(a)に基づき、作業部会は、適切な措置のために、裁判官及び弁護士の独立に関する特別報告者、及び拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰に関する特別報告者に、本件を付託する。
 
89 作業部会は、日本政府に対し、利用できるあらゆる手段を持って、出来る限り広く本意見を広めるよう求める(注38)。 

フォローアップ手続 

90 作業方式パラ20に基づき、作業部会は、情報源及び日本政府に対し、本意見の中でなされた勧告のためのフォローアップのために行われる措置に関する情報を提供するよう求める。
 (a) ゴーン氏に対し、補償又はその他の賠償がなされたかどうか
 (b) ゴーン氏の権利侵害に関して調査が行われたかどうか、行われた場合にはその結果。
 (c) 日本法及び実務について、本意見が示した国際的義務に調和させるために法改正又は実務の変更が行われたかどうか。
 (d) 本意見を実行するためにその他の方策が講じられたかどうか

 91 日本政府は、本意見で示された勧告を実行する際に直面した問題点や、作業部会による訪問など、さらに技術的な援助が必要かどうかを作業部会に知らせることを奨励される。

 92 作業部会は、情報源及び政府に対し、本意見が送達されてから6ヶ月以内に、上記の情報を提供するよう求める。しかし、作業部会は、本件に関する新たな懸念に気づいた場合に、本意見のフォローアップにおける措置を独自に講じる権利を留保する。このような措置によって、作業部会は、勧告を実現するためになされた進展や措置が取られなかったことについて、人権理事会に対して知らせることが可能となる。 

93 作業部会は、人権理事会が、すべての加盟国に対し、作業部会に協力するよう促し、その意見を考慮し、必要な場合には恣意的に自由を侵害された者の状況を改善するために適切な措置を講じるよう求め、講じた手段について作業部会に知らせるよう求めたことを想起する(注38)。 (2020年8月28日採択)

(注7)意見Nos.55/2018パラ59及び50/2017パラ53(c)参照
(注8)意見No.1/2020パラ74
(注9)意見No.70/2018パラ32
(注10)同上。パラ32-33。人権理事会決議42/22パラ7及び9、並びにA/HRC/36/38パラ15も参照。
(注11)A/HRC/19/57パラ68
(注12)意見No.9/2009パラ22-24参照(その中で、作業部会はこのようなアプローチが情報元の主張に対する反論とならないと判断した)。
(注13)意見Nos. 46/2019, パラ504/2019, パラ46及び10/2018、パラ39
(注14)情報源は拘禁期間を129日と主張するが、最初に逮捕された20181119日から201935日までの間は107日であり、情報元の計算による108日ではない。情報源によれば、ゴーン氏は201944日から25日までの21日間拘禁されていたので、合計すると警察勾留及び公判前勾留は128日となる。
(注15)作業部会は、No.55/2018の中で、同様の配偶者との接触禁止について検討し、異常であると注記した。
(注16)20181119日から20181210日までの期間は22日である。
(注17)ゴーン氏は、201918日、ごく短時間裁判所に出頭し、勾留の理由を説明された。3回目の逮捕に続いてゴーン氏の勾留が検討された最初の機会は、111日ではなくこの時であったように思われる。したがって、司法審査のない期間は19日間となる。
(注18)自由権規約委員会一般的意見No.35, パラ33
(注19)意見Nos. 15/2020パラ56及び70/2019パラ62。自由を剥奪されたすべての人が法廷に救済とその手続を求める際の基本的原則とガイドライン(A/HRC/30/37)パラ3参照。
(注20)自由権規約委員会一般的意見No. 35パラグラフ32。ゴーン氏の状況は、Everton Morrison v. Jamaicaで自由権規約委員会が言及した事件と対照的であるかもしれない。この事件(通報No.635/1995)では、被告人は、最初の起訴において合法的に勾留されたが、2回目の起訴の際には釈放される権利がなかった。
(注21)A/HRC/30/37 原則8及びガイドライン7
(注22)意見8/2020パラ541/2020パラ5357/2014パラ2649/2014パラ23, 及び28/2014パラ43参照。また、自由権規約委員会一般的意見No.35パラ38及びA/HRC/19/57パラ48-58参照。
(注23)A/HRC/19/57パラ54
(注24)自由権規約委員会一般的意見35パラ38
(注25)同上。さらに、意見No.83/2019パラ68及びA/HRC/30/37、ガイドライン15参照。
(注26)国連人権理事会UPR3回審査パラ161、勧告135-137、自由権規約委員会の日本の第6回定期報告に関する総括所見パラ18、拷問等禁止委員会の日本の第2回定期報告に関する総括所見パラ10 及び作業部会意見No.55/2018パラ78参照。
(注27)意見No.37/2018パラ32も参照。
(注28)被拘禁者処遇最低基準規則(ネルソンマンデラルール)基準13,23,43-45,58及び61、及びあらゆる形態の抑留または拘禁の下にあるすべての者の保護のための諸原則、原則15及び17-19参照。
(注29)自由権規約委員会、裁判所の前の平等と公正な裁判を受ける権利に関する一般的意見No.32(2007)パラ41。また、意見Nos.15/2020パラ76及び5/2020パラ83も参照。
(注30)自由権規約委員会の日本の第6回定期報告に関する総括所見パラ18 、及び拷問等禁止委員会の日本の第2回定期報告に関する総括所見パラ10-11参照。
(注31)作業部会が、意見No.42/2006パラ13-16を引用した意見No.55/2018パラ78参照。
(注32)日本政府は刑事訴訟法1981項を引用するが、この規定は、取調べにおける被疑者の弁護人の立会いについて特に規定していない。
注33)A/HRC/30/37、原則9及びガイドライン8、自由権規約委員会一般的意見N0.35パラ35
(注34)マンデラルール基準61(1)、あらゆる形態の抑留または拘禁の下にあるすべての者の保護のための諸原則の原則18, A/HRC/30/37 ガイドライン8
(注35)意見No.70/2019パラ79、自由権規約委員会一般的意見No.32パラ33
(注36)自由権規約委員会一般的意見No.32パラ30
(注37)同上。意見Nos. 83/2019パラ7336/2018パラ5579/2-17パラ6240/2016パラ41及び5/2010パラ30も参照。
(注38)人権理事会決議42/22パラ3及び7。

2020年10月10日土曜日

勾留延長ー原則と例外の逆転

大麻所持事件の捜査の現状ー「原則」20日の身体拘束


有名俳優が大麻所持で逮捕されるというニュースが大きく報じられたのを機に、大麻規制のあり方についてこれまで以上に活発に議論がされるようになった。
大麻の規制のあり方とともに見直されなければならないと私が考えるのは、捜査のあり方、特に勾留の問題である。報道によれば、この俳優は、逮捕後勾留され、さらに勾留期間が10日近く延長された後に起訴された(後に保釈)。おそらく捜査機関は、逮捕する前から捜査を進めていたと推測されるが、それでもなお、この男性を20日近くもの間拘束した。

刑事訴訟法は、勾留期間を原則10日と定め、その期間内に起訴しない場合には釈放しなければならないと定める(208条1項)。そして、「やむを得ない事由がある」と裁判所が認める場合に、例外として最大10日、勾留期間を延長することができる。

しかし、大麻所持の事案で、勾留期間が延長され20日近く(逮捕から数えると23日間)勾留される例は決して珍しくない。私が実際に弁護を経験した事例では、繁華街を歩いている際に大麻を所持していたのが警察官の職務質問を機に発覚し、逮捕され、所持について何の争いもないというごく単純な事件で、勾留期間が10日延長され、逮捕から数えて23日勾留された例がいくつもある。

統計にも現れている。2019年検察統計の表42によると、大麻取締法違反で検挙され、勾留された者の総数が3740件、このうち20日以内勾留された者(16日以上20日以内)が2,444名(65.34%)だった。

勾留総数5日以内10日以内15日以内20日以内
3,740151,0871032,444

大麻取締法違反には、所持のみならず、輸入や栽培の罪なども含まれる。そのため、この数字は単純所持に限られない。しかし、それでも65%近くの場合に、本来例外とされている勾留期間の延長が認められているのである(なお、事件全体の16-20日の勾留延長の割合は、59.09%である(注1)。

どのような理由で勾留期間の延長が正当化されているのか。私が弁護した事件を見ると、①鑑定未了、②取調べ未了(あるいは供述の裏付け捜査を経てさらに取り調べる必要性があるなど)という例が圧倒的に多い。科学捜査研究所(科捜研。警視庁や都道府県警本部に設置される機関)が、10日以内に鑑定を終わらせられなかったことの問題は何ら問われていない。「取調べ未了」と言いつつ、検察官が一度しか取調べを行わず、中には一度も取調べを行わなかった例もある。捜査機関の能力不足や怠慢のつけを払わされているのは、警察官や検察官ではなく、劣悪な環境で自由を奪われる私たち市民である。

被疑者勾留の本来のあるべき姿ー原則は10日間


先に書いたとおり、刑事訴訟法は、10日間の勾留を原則とし、勾留期間の延長をあくまでも例外として位置付けている(注2)。戦後、現行刑事訴訟法が成立した当初は、実際に概ねそのように運用されていた。
昭和25年4月、勾留期間の延長が参議院法務委員会で問題にされた。以下は、議事録(第7回国会参議院法務委員会会議録第26号)の引用である。

深川タマエ参議院議員:
法務総裁に対しまして検察の運営に関する2つのご質問を申し上げます。そのまず第一番は、勾留の濫用による人権蹂躙についてでございます。刑事訴訟法第208条1項によりますと、「勾留の請求をした日から10日以内に公訴を提起しないときは、検察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならない」と規定しております。而してその第2項には止むを得ない事由がある場合に限りまして、更に10日以内の延長が認められております。即ち検察官の勾留期間は原則として10日以内に決め、真に止むを得ない場合に限って更に10日以内の延長を認めておるのでございます。然るに、最近における検察官による勾留の実情は、この第2項を乱用しまして、どんな事件でも1度勾留すれば20日間は当然交流する権利があるごとく、取扱われておるようでございます。(中略)。かくては、第1項の「検察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならない」という人権擁護の重大なる規定はあってなきがごとくであり、かくては人権上由々しき問題であると考えます。止むを得ない事由がないにも拘わらず、勾留期間を更に10日間平気で延長するがごときは、法律を無視するばかりでなく、これこそ勾留の濫用による人権蹂躙であると断ざるを得ないのでございます。

このように述べた上で、深川議員は、ある事件の詳細を紹介して、勾留の運用について質問した。

これに対し、殖田俊吉国務大臣は、「逮捕とか勾留とかいうようなことは、人身に対しまする最も大きな制限でありまするから、これはその運用につきまして最も慎重に取り扱わなければならない」と述べ、これを引き継いだ高橋一郎・政府委員は次のように回答した。

高橋一郎政府委員:
只今お尋ねの刑事訴訟法第208条の第2項によりまして、10日間の勾留期間を更に10日まで延ばすことができるわけではありますが、その点がどのように実際上運用されておりますかを見ますると、(中略)昨年の7月の末に検察官の手許に未済として勾留されておった被疑者の数が、全国で7031名でございまして、その中で10日以内のものが6,335名、10日以上20日内というものが696名あったのであります。大体9割は10日以内、20日以内10日になりましたのは1割程度でございます。その後も大体こういった運用状況になっておると考えますので、第2項はそれ程一般的に申しますると、濫用されているというふうにはいえないのではないかというふうに考えておるのであります。

その約70年後。この間科学技術がめざましく発展し、捜査機関は様々な捜査手法を得て犯罪捜査に対応できるようになった。しかし、それでもなお検察官は、「取調べ未了」「鑑定未了」を理由に、ごく当たり前のように勾留期間を延長しようとする。果たして、当時の議員たちが今の運用を見たとき、どう思うだろうか。

ちょうど今日、アメリカ・バーモント州においても大麻合法化の法案が可決されたとの報道を目にした。大麻の規制については様々な意見があるし、あって然るべきだと思う。しかし、合法化も進む大麻所持という事案において「鑑定未了」や「取調べ未了」を理由に、20日もの間勾留を続けるのが果たして許されるのか。釈放して捜査を続けることがなぜだめなのか。捜査実務の実態もまた、議論の対象にされるべきではないかと思う。




(注1)2019年検察統計別表42「既済となった事件の被疑者の勾留後の措置、勾留期間別及び勾留期間延長の許可、却下別人員ー自動車による過失致死傷等及び道路交通法等違反被疑事件を除くー」によると、勾留総数は90,377件でうち16日以上20日以内の間勾留された例が53,402件であった。

(注2)原則10日というのも十分に長いと思うが、それはまた別の機会に論じることとしたい。


2020年10月2日金曜日

刑事手続と出入国管理手続のはざまで

裁判を待っている間にオーバーステイで強制退去?

先日、千葉地方裁判所で無罪判決を得た。20代前半のカナダ人女性が友人に誘われて来日し、空港の税関検査で、持ってきた缶詰の中からコカインや大麻が見つかったという事件だった。起訴から判決まで1年4ヶ月を要した。本当に長かった。

無罪。そしてようやく釈放。本当ならそのまま一緒に裁判所を後にして、喜びたいところだ。しかし、被告人が外国人の場合、そう簡単にはいかない。その時点で在留期間を過ぎている場合には、出入国管理法違反(オーバーステイ)の疑いがあるとして、出入国在留管理局に連れて行かれてしまうからだ。彼女の場合は、観光目的の短期滞在の在留資格(90日)で来日していた。判決を言い渡された時、とっくに在留期間が過ぎていた。

こうした事態はしばしば起きる。当局が、裁判を受けることを目的として短期滞在の在留資格の場合の期間更新を原則として認めていないからだ(注1)。実際に私は、別の事件で、裁判を待っている依頼人の在留期間の更新を申請したが、否定されたことがある。

自分が希望して日本に滞在するわけではない。一方的に訴追され、勾留され、裁判を待っているだけなのに、在留期間の更新ができず、結局在留資格を失って退去強制されるというのは、おかしくないだろうか。


在留資格は保釈にも影響するーもう一つの「人質司法」

問題は、オーバーステイにより退去強制事由が認められてしまうことにとどまらない。このことは、保釈、そして無罪を主張する権利にも影響する。

どういうことかというと、裁判手続にはどうしても時間がかかる。否認事件の場合、90日で終わることはほとんどない。被告人が短期滞在の在留資格で滞在している外国人(例えば、ビジネス出張や旅行で来日した外国人)の場合、裁判を待っている間に在留期間が過ぎ、在留資格を失うことがほとんどだ。ところが、裁判所は、在留資格のない外国人にはほとんど保釈を許可しないという現実がある。そのため、外国人が無罪を主張し、裁判に時間を要するため、裁判が係属している間に近い将来在留資格を失うことが見込まれる場合、現実的には保釈は許可されないということになる。

保釈されずにずっと身体拘束され続けるならば、無罪を主張することを諦めて、有罪答弁して判決を甘んじて受けいれるーそういう考えに陥るのはごく自然なことだろう。自分の依頼人にも、そのように判断して争うことを諦めた人が何人もいる。これは、もう一つの人質司法というべき問題だと思う。


問題解決のために

この問題を解消するための方法は、短期滞在による在留資格の更新を認め、あるいは、裁判を受けることを活動内容として、別の在留資格への変更を許可することだ。そうでなければ、出張のために来日したビジネスパーソンや、観光のためにやってきた旅行者が、何かの理由で逮捕勾留、起訴され、裁判を受けることになった場合、ほとんど保釈の可能性がなくなる。結果、無罪を主張することを諦めることになってしまう。そんな国に来たいと思うだろうか。

そして、裁判所においても、在留期間が過ぎるまでの間にできるだけ早くに裁判を終わらせる、迅速な裁判を実現するよう努めるべきだと思う。


旅券の携帯義務と保釈


刑事弁護をやっていて刑事手続と出入国管理法の間の矛盾を感じるのが、保釈中の旅券携帯義務である。
外国人の場合、弁護人が旅券を預かることを保釈の許可条件とすることがよくある。旅券がなければ海外渡航することができないので、これは逃亡を防止するための実効的な措置といえるだろう。
中長期在留資格(例えば定住者)の外国人の場合には、あまり問題はない。しかし、短期滞在の在留資格の外国人は、旅券を携帯し、求められた場合には呈示する義務を負っている(出入国管理法23条)。そのため、保釈された場合に旅券の扱いをどうするのかという問題が生じる。このことが大きく取り沙汰されたのが、カルロス・ゴーン氏の保釈と逃亡だった。

裁判所の運用もまちまちである。弁護人が本人の代わりに旅券を携帯し、呈示を求められた場合には、速やかに弁護人が被告人のもとに駆けつけて呈示することとして旅券の携帯等義務を果たさせようとする裁判官がいる。一方、代理人による旅券携帯は許されていないとして、このような方法を否定する裁判官もいる。鍵付きのケースに入れ、鍵を弁護人が保管することにより解決しようとする場合もある。

 しかし、この問題も、旅券の携帯について入管法を改正するなどして統一的な解決を図るべきであろう。例えば代理人による携帯を認め、呈示をを求められてから一定の時間内に旅券を示せれば携帯・呈示義務を果たすことができることとしてはどうか。実際に、諸外国にはそのような立法例もあると聞く。このような抜本的な解決をした方が、手作りの鍵付きケースに旅券を入れて本人が持ち歩くよりも、よほど実効的に逃亡を防止できるはずである。そして何よりも、住居も身柄引受人もいて本来保釈が認められるべき外国人が、旅券の扱いをめぐって保釈を否定されるような事態を避けられるはずである。


最後に


現在開催されている法制審議会の刑事法(逃亡防止関係)部会では、入管行政と刑事訴訟の関係の調整を検討すべきという意見も出ている(注2)。前述の旅券の扱いについても、本人に持たせないような仕組みを設けるべきではないかという提案もなされている(注3)。これを機に、刑事訴訟実務と入管行政実務の間で生じている矛盾を解消するような議論がなされることに期待している。



(注1)法務省は、ホームページにおいて、「『短期滞在』に係る在留期間の更新は、原則として、人道上の真にやむをえない事情又はこれに相当する特別な事情がある場合に認められるものであり、例えば、病気治療をする必要がある場合などがこれに当たります。」と説明している。
(注2)法制審議会・刑事法(逃亡防止関係)部会第2回議事録の小木曽綾委員の発言(21頁)。
(注3)同・高井康行委員の発言(4−5頁)。






2020年9月21日月曜日

証拠開示ー検察官倫理について考える②

検察官による「証拠隠し」


宮田浩喜さん(87歳)は、1985年に熊本県松橋町(当時)で起きた殺人事件の罪に問われ、無実の罪で懲役13年の判決を言い渡されたえん罪被害者である。 2019年に再審開始決定がなされ(注1)、殺人罪について無罪判決が確定した(注2)。再審開始決定の決め手となったのは、宮田さんが「自白」の中で、「凶器に巻きつけた後燃やした」と述べたとされるシャツの布片が、再審手続の中で新たに開示されたことだった。宮田さんの自白が真実であれば、布片には被害者の血痕がついているはずだし、そもそも燃やしている以上布片は存在しないはずだった。布片の存在は、宮田さんの自白が客観的事実と矛盾し、有罪の唯一の根拠だった自白の信用性を否定するに十分だった。

報道によれば、宮田さんは、2020年9月18日、検察による証拠隠し等により無実の罪で身体拘束されたとして、国と県に損害賠償を求めたという。

証拠隠しが問題になったえん罪事件は松橋事件だけではない。布川事件や東京電力女子社員殺害事件、湖東記念病院事件など、再審無罪事件のほとんどで問題になっている。

検察官倫理と開示義務(注3)−アメリカの場合


証拠の不開示によりえん罪事件が起きているのは、日本だけではない。アメリカのえん罪事件のうち44%の事件で、証拠不開示がえん罪の原因として指摘されているという(注4)。

検察官による証拠隠しが問題にされる中で、アメリカでは、検察官の証拠開示義務について議論がなされてきた。倫理規程において検察官の証拠開示義務が明示されたのもその現れである。

「検察官の特別な職責」を定めるABAの法律家職務模範規則3.8は、被告人の有罪を否定しまたは犯罪の程度を軽減することが検察官に知られている全ての証拠や情報を弁護人に適時に開示しなければならないと定める(3.8 (d))。同規則は2008年に改正され、有罪判決確定後に被告人が有罪とされた罪を行っていない可能性を示す、信頼できる重大な証拠等の開示が義務付けられた((g)及び(h))。

また、検察官のベストプラクティスを示すためにABAが採択した「刑事司法の基準」の「検察の機能」3-5.4はこれらの規定をさらに具体化させ、有罪を否定し、犯罪の程度を軽減させ、検察官証人の証言を弾劾し、または減刑につながりうる証拠や情報について、検察官は訴追後もそのような証拠や情報があるかを探求し、あった場合には弁護人に開示すべきを定めている。「証拠開示」の基準でも、被告人に有利な証拠を適時に開示すべきであることが定められている(11-2.1)

現在34の州が、検察官に対し、被告人の刑事責任を否定する方向に働く証拠(exculpatory evidende)の開示を法律により義務付けている。そのうち2州を除いては、証拠開示に関する重要な連邦最高裁判例Brady v. Maryland(注4)がいう、証拠の「重要性」(materiarity)を求めていない(注5)。すなわち、こうした倫理規程や証拠開示のルールは、最高裁判例が示したのよりも、検察官が負う証拠開示の義務の範囲を広げているのである。

証拠開示義務に違反した場合、検察官は懲戒処分の対象になりうる(注6)。しかし、懲戒制度が十分に機能しないことを批判し問題視する声も多い(注7)。ニューヨーク州では、警察官が証人を威迫して偽証させた結果、殺人の罪を着せられた男性が16年間服役したという事件で、警察官が証人を威迫していたことを検察官が知りながら弁護人に対して何も開示しなかったことが明らかになった。それにもかかわらず、検察官が何も処分を受けなかったことが強く批判された。この件を契機に、2019年4月、検察官の不正行為を調査する委員会を設ける法律が可決され、Andrew M. Cuomo知事が署名したという(注8)。

検察官倫理の不存在


翻って日本はどうか。前回書いたように、日本には、検察官に対する行動規範としての倫理規程が存在しない(少なくとも公開されていない)。検察官による証拠改ざんを契機に設けられた「検察の理念」(2011年)でも、証拠開示については何も触れられていない。

えん罪が明るみになり、証拠不開示がえん罪の原因となったことが判明してもなお、検察庁にはそのような動きはない。布川事件で再審無罪が確定した櫻井昌司さんが国と県に対して賠償を求めた訴訟で、2019年5月、東京地裁は、 検察官の手持ち証拠のうち、裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白であるものについては、被告人に有利不利な証拠を問わずに開示する義務を負うと判断し、検察官が証拠開示に応じなかったことの違法を認定した(注9)。しかし、検察庁 がこうした指摘を受けて実務の改善を図ったという動きは耳にしない。

証拠開示に関する規定は、刑事訴訟法に存在する。現在の実務では、公判前・期日間整理手続に付された事件(全体の2.7%(注10))では類型証拠、主張関連証拠に該当する証拠が開示され、そうでない事件では、任意開示される運用がなされている。しかし、それはあくまでも「任意」である。公判前整理手続に付されている事件であっても、弁護人が請求しない限り開示されない。弁護人や被告人がその存在を知らないまま証拠が開示されない危険は十分にある。

最後に


 現代社会では、法律家のみならずどんな専門職にも倫理が求められている。企業においてもコンプライアンスの遵守が要求されている。倫理を守ることによって、専門職に対する信頼が維持されている。強大な権力の下に個人を訴追し、刑事司法を担う検察官であればなおさらであろう。

アメリカの制度が最善であるというつもりはない。しかし、証拠隠し、証拠不開示がえん罪の原因となっていることを受けて、検察官の証拠開示義務を見直し、倫理規程や法律が制定されてきたこと、さらには証拠開示改革に向けて議論が進められていることから学ぶべき点は非常に多いと思う。

証拠の不開示によってえん罪が起きていることを真摯に反省するならば、検察官のための倫理規程を設け、証拠開示に関する行動規範を明記する、少なくとも内部のガイドラインを設け、それを公表して国民の理解を得るように努めるべきではないだろうか。



脚注
(1) 熊本地裁平成28年6月30日決定(判時2368号97頁)
(2) 熊本地裁平成31年3月28日判決(裁判所ウェブサイト)
(3) アメリカにおける検察官の証拠開示義務については、ブルース・グリーン、ピーター・ジョイ「アメリカにおける検察官の証拠開示義務」(一橋法学13巻2号525頁、2014年)に詳しく論じられている。リンクから読むことができる。 
(4) National Registry of Exonerations,  Government Misconduct and Convicting the Innocent-The Role of Prosecutors, Police and Other Law Enforcement (2020), at 75. また、前掲注4・868頁は、ブレイディ判決の証拠開示義務違反が、最も多い誤判原因の2番目に多いという研究を紹介する。
(4)  373 U.S. 83 (1963)
(5) 前掲注4, 78-80頁
(6)   The Center for Public Integrityが発表した、Neil Gordon, Misconduct and Punishment-State Disciplinary authorities investigate prosecutors accused of misconduct (June 2003, 2018年に更新)は、被告人の無罪を示す証拠のの不開示により検察官が懲戒処分を受けた例を紹介する。
(7)  Thomas. P. Sullivan et al., The Chronic Failure to Discipline Prosecutors for Misconduct: Proposal for Reform, 105. J. CRIM. L. &CRIMINOLOGY (2015)  
(8)  New York Times, Prosecutors Sometimes Behave Badly. Now They May Be Held to Account, 5 April 2019
(9)  東京地裁令和元年5月 28日判決(裁判所ウェブサイト) 
(10)   平成30年司法統計刑事編第39表「通常第一審事件の終局総人員−公判前整理手続及び期日間整理手続の実施状況別合議・単独、自白の程度別−全地方・簡易裁判所」より

 

2020年9月11日金曜日

検察官とマスメディアとの関係ー検察官倫理について考える

垂れ流される捜査情報


逮捕され、警察官に取り囲まれてうなだれる被疑者の写真。「現場から被疑者の指紋が発見された」という警察
/検察「関係者」のコメント。「被疑者は事実を認めているという」という記事のまとめ…。新聞やテレビ、インターネットは、日々こうした報道であふれている。報道を目にするうちに、私たちは知らず知らずのうちに「この人が犯人だ」「この事件は〜だ」と思い込まされる。裁判が始まる前に、犯人と決めつけられ、社会的に有罪と判断されてしまうとするならば、裁判とは一体何なのか。

報道の自由や知る権利が重要であることは言うまでもない。一方で、こうした報道のあり方は被疑者/被告人の無罪推定を否定し、将来行われる裁判にも影響しうる。果たして、検察官は捜査情報を何の制限なく報道機関に発表することが許されるのだろうか


検察官の情報発表を規制する規定の不存在

日本には、検察官とマスメディアとの関係、具体的には検察官が捜査や刑事手続に関する情報提供を規制する規定がほとんど存在しない。強いていえば、公務員は職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならないと定める国家公務員法100条があるだけである。倫理規程にもそのような規定はない。そもそも国家公務員倫理法と同倫理規程があるだけで、刑事事件の捜査や訴追を担う検察官を対象にした倫理規程は存在しない。

検察官による不祥事を受けて設けられた検察の在り方検討会(法務大臣の諮問機関)では、検察官が職務遂行において従うべき倫理規程を明文化すべきであることが提言された。これを受けて、2011年9月「検察の理念」が設けられた。しかし、その内容は抽象的なものにとどまり、報道機関との関係については何も言及されていない。


諸外国の例-アメリカ(連邦)の例

諸外国ではどうか。アメリカには、検察官とマスメディアとの関係に対する法律上及び倫理上の規制が存在する。


1.  ABAの法曹模範規則

まず、アメリカ法曹協会(American Bar Association, ABA)の法律家職務模範規則(Model Rules of Professional Conduct)がある。この規則は1983年に採択され、改訂が重ねられてきた。現在までに49州とワシントン特別区などで採択され、裁判所規則等として機能する。検察官にも適用される。模範規則は、「事件の公表」という項目を設け、事件や訴訟を担当する法律家が、司法判断に重大な予断を与える実質的可能性があることを知り、あるいは合理的にしりうる事項について、訴訟手続外で陳述することを禁じる(3.6)。また、検察官の特別な職責」を定め(3.8)、その一つとして、社会人に対する社会的非難を強める可能性のある訴訟手続外の論評を避けなければならないとする(3.8(f))。

ABAは、1968年に「刑事司法の基準」(Standards of Criminal Justice)を採択し、「検察の機能」という基準を設けた。これはあくまでも「ベストプラクティス」を示したものであり、その違反が懲戒原因や、刑事訴訟における実体法・手続法上の主張を直接構成するものではない(3.1-1(b))。基準では、秘密裏または匿名で、公にされていない情報を提供してはならないことなどが定められている。

 

2 司法省ガイドライン

連邦司法省ガイドラインは、検察官とマスメディアとの関係について、ABAの模範規則をさらに具体化して規制する。


連邦政府規則(Code of Federal Regulations, “CFR”)のうち、司法省に関する規則は、司法省職員(連邦検察官を含む)による、刑事事件に関する情報の公表について具体的なガイドラインを設けている(CFR. §50.2


刑事事件に関する事実の公表に関して、裁判の結果に影響を与える目的で陳述し、あるいは事実を公表してはならないことを確認した上で(同⑵)、公表する事実は疑う余地のない事実に限られるべきであり、主観的な観察内容を含むべきではないこと、具体的には、被告人の名前や年齢、住居、起訴事実の内容、逮捕の時間や場所などに限られることが示されている(同⑶)。他方で、被告人の供述(自白や否認、供述しない態度を含む)、指紋やポリグラフ検査などの検査に関する手続に関する内容、証人候補者の将来の証言内容や信用性に関する意見、事件の証拠に関する意見、また有罪答弁の可能性に関する意見などを公表してはならないことを定める(同⑹)。また、被告人が報道機関によってテレビ・写真撮影されるのを促すことなども禁じる(⑺)。

司法省のマニュアルJustice Manualも、情報の秘匿と報道機関との関係について定める1-7.400「進行中の刑事/民事/行政事件の捜査に関する情報の開示」、1-7.500「刑事/民事/行政事件の捜査に関する開示可能な情報の発表」)。


これらのガイドラインは内部的な効力しか有しないとされているが、新人の教育指導や組織内部の一貫性、さらに組織としての判断構造を示すという点で重要性がその指摘されている(Ellen S. Podgor, Department of Justice Guidelines: Balancing “Discretionary Justice”Cornell Jounal of Law and Public Policy Vol. 13 (2004), 167 at 194. )。


なお、司法省は、検察官の倫理違反とされる行為について調査する部署(Office of Professional Responsibility, "OPR")を独自に設け、判断内容等について公表している。

 

3 その他の国の制度

検察官とマスメディアとの関係に関する倫理規程を設けているのは、アメリカだけではない。

イギリスは、Crown Prosecution Serviceが内部ガイドラインにおいて、過剰なマスメディア報道が、公正な裁判を受ける権利を侵害する可能性があることを指摘して、関連する裁判例を紹介している

カナダも、検察官の倫理規程Public Prosecution Service of Canada Deskbook)を設けている2.9章はマスメディアとの関係について詳細に定め、社会に対する説明責任を重視して適時に正確に情報を提供することを求める一方、被告人の有罪無罪や、事件の弱点などに関する個人的な意見など、述べるべきではないことについても規定を設けている(7.2)。ニュージーランド香港も、検察官に対する倫理規程の中で、検察官とマスメディアとの関係について具体的な規定を設けている。


今後あるべき議論

東京高検検事長の定年延長をめぐり、元検事長が新聞記者とかけ麻雀を繰り返していたことが発覚したのを契機として、検察官倫理に大きな注目が集まった。その後設けられた検察行政刷新会議では、検察官の倫理がテーマの一つとして挙げられている。問題の本質は、一検察官の賭け麻雀ではない。検察官とマスメディアの関係に対する不信こそが問題にされるべきであろう。

これを機に、検察官による情報発表に関するガイドラインの導入に向けた議論・検討がなされるべきだと思う。その際、先に紹介したアメリカ連邦司法省のガイドラインは参考になると思う。被疑者・被告人は裁判の前に「有罪」と決められてしまうような社会でよいのか。検察官倫理は、公正な裁判の実現に直結する問題として考えられるべきだろう。


2020年7月21日火曜日

外国人に対する職務質問

職務質問の実際


アメリカ・ミネアポリスで起きた警察官によるジョージ・フロイドさん殺害事件を契機に、全米、そして世界各地で、
Black Lives Matterという言葉を掲げた、差別の撤廃と制度の改善を求める運動が展開された。
日本ではどうか。私は日々刑事弁護の仕事をしている。その中で、警察官が、職務質問の場面で、外国人に対して差別的な取り扱いをしていることにしばしば気づく。

事例

警察官が職務質問の相手を見つけ、声をかける様子を知る手がかりとなるのが、彼らが逮捕の状況を記録した報告書(逮捕手続書)である。もちろん、ここに記載されていること全てが真実とは限らない。しかし、報告書の中で、なぜその人に職務質問をしようと考えたのか、警察官がその理由の説明を書くのが通例である。
私が弁護を担当した事件で作成された報告書には、実際に次のような記載があった(プライバシー保護のため、事実を一部変えてある)。いずれも東京都内の路上での職務質問の場面である。

[ケース1]
身長175cmくらい、髪金髪、白色長袖シャツ、ジーパン、スニーカー姿の白人男性と、身長155cmくらい、ドレッドヘアー、サンダル姿の黒人女性が、並んでXX通り方向へ歩いて行くのを発見した。六本木地区では、外国人による薬物等の所持・使用等の事案が散見されており、白人男性と黒人女性が一緒にいた状況が不自然であったことから、後を追いかけ…路上で呼び立てて、身分証の提示を求めた

男性の挙動に不審な点があったというのではない。「白人男性と黒人男性が一緒にいた状況が不自然であった」ことを理由に声をかけようと考えたというのである。これはまさに、人種・国籍差別の一例である。

ここまで露骨ではなくても、「外国人」に見える身体的特徴を理由に、ごく些細な行動をとりあげて職務質問を正当化しようとする例がある。

[ケース2
年齢40歳くらい、身長180cmくらい、ボーダーシャツ、黒色ズボンの外国人男性を発見し注視していると、男性は目が合うや一瞬驚いた様子を見せ、近くにいた客引きの声も無視して足早に立ち去ろうとしたので、声をかけることにした。

[ケース3
迷彩柄ジャンパーを着た外国人男性が、女性と歩いているのを発見すると、こちらに気づいて目をそらしたことを認めたことから不審と認め職務質問を開始した。

この2つの例では、警察官が道を歩いている「外国人」を注視し、目が合うや目線をそらしたことから不審に思って声をかけようと思ったというのである。
法は、職務質問が許される場合について、「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある場合」と定めている(警察官職務執行法21項)。人とあって目が合って目線をそらすのは、そんなに珍しいことか。「異常な挙動」で、「何らかの罪を犯そうと疑うに足りる相当な理由」とになるのだろうか。

3つの例いずれにおいても、その後警察官は、相手に声をかけて、身分証の提示を求めた。相手が旅券や在留カードを持っていないと知るや、警察署への同行を求めた。いずれの事件でも、男性たちは警察署に連れて行かれ、所持品検査が行われた。所持品から違法薬物が見つかり、現行犯逮捕されることとなった。外国人らしい身体的特徴を理由に声をかけられ、身分証の提示を求められる。持っていない場合には、さらに職務質問が続けられる。所持品検査が行われる。本来は任意であるはずが、実際にはそこに拒む「自由」はない。拒めば、長時間をかけて説得される。その場を去ろうとすれば、立ち塞がれ、その場に留め置かれる。「逃げようとした」と非難される。裁判所はこうした方法を通常違法ではないと判断する。警察官に声をかけられたら最後、彼らの気がすむまでその場を立ち去ることはできない。職務質問それ自体もそうだが、その後に続く一連の手続を考えると、「外国人であること」あるいは「外国人らしい身体的特徴」を理由にした差別的な職務質問は、重大な人権侵害をもたらしているのではないか。


外国人の場合の特殊性ー旅券や在留カードの携帯義務


外国人に対する職務質問や所持品検査をより「実効」たらしめているのが、旅券不携帯・不提示罪である。出入国管理法は、外国人に旅券や在留カードを携帯し、求めに応じて提示するよう義務付けるとともに、これを怠った場合を犯罪としている(出入国管理法
23条。旅券不携帯・不提示は罰金10万円以下(76条)、在留カードの不携帯は罰金20万円以下(75条の3))

下記は、警察庁に情報開示を求めて入手した、旅券不携帯による現行犯逮捕する過去10年の件数である。


現行犯逮捕通常逮捕合計
2009年2144218
2010年1721173
2011年1243127
2012年95095
2013年1104114
2014年76379
2015年1002102
2016年86793
2017年1148122
2018年1944198
2019年1684172


外国人に旅券の携帯を義務付ける国は日本だけではない。それでも、私は、外国を旅行中に旅券を携帯することはほとんどない。絶対になくしたくないので、ホテルや滞在先の貴重品入れに保管する。旅券を示す場面に備えて、携帯電話に写真を保存しておく。そういう人は決して少なくないだろう。
ところが、日本では、2019年には168人もの人が現行犯逮捕されているというのである。

司法の場で争えば良い?

このように、外国人が職務質問の場面で差別的な取扱いを受け、要件を欠く職務質問により逮捕に至るという例が存在する。しかし、そのことが、刑事裁判の場で争われた例は極めて少ないように思う。なぜか。それは、争うことにより身体拘束が長引くのを避けるためだろう。違法薬物の所持は、前科がなければ有罪判決を受けても執行猶予になるのが普通である。早く認めて保釈される、保釈されないとしても一刻も早く裁判を終えて釈放されたい-そう考えて、争うことを諦める人は決して少なくないはずである。裁判所が、捜査の違法を理由に証拠排除を認める見込みが乏しいなら、なおさらである。

日本の刑事司法の場面においても、「差別」は存在する。正面から問題になっていないだけで、実際には存在する。国籍や人種による差別は、決して異国の地の問題ではないのだ。


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1 判決宣告のテレビ撮影と配信 先日、刑事裁判の審理のインターネット配信をテーマに ブログ記事 を書いた。 これとは異なり、判決宣告の場面に限ってテレビ撮影し、オンライン配信やテレビ放映する制度を設けて運用する法域が存在する 。その背景には、オンラインによる審理の公開による問題(...