2022年7月13日水曜日

前科の公開と、やり直す機会ー "Clean Slate"

前科は「プライバシー」?


日本では、前科は「プライバシー」とされてきた。

先日(2022年6月24日)も、最高裁は、逮捕や罰金刑に関する事実をプライバシーとする判断を示した。今から約8年前に旅館の風呂場の女性用脱衣所を覗き見したとして建造物侵入罪で逮捕され、罰金刑を受けたという事実の報道記事を転載したツイートの削除を本人が求めたという事案で、最高裁は、このような逮捕・罰金刑に関する事実が「他人にみだりに知られたくない…プライバシーに関する事実」であるとした上で、そのような事実を公表されない法的利益と「ツイートを一般の閲覧に供し続ける理由に関する諸事情」とを比較衡量した上で、前者が後者を上回る場合には、ツイートの削除を求めることができると判断した。

しかし、犯罪が起きたとされ、公権力が個人を逮捕・起訴し、有罪判決を下すことは、公の事実そのものである(注1)。それが時間の経過とともに過去のことになると、前科事実は公表されない利益があるという(最三決平成6年2月8日(民集48-2-149)参照))。こうした判断は、知る権利や報道の自由、裁判の公開といった原則とも矛盾する。

また、現実的にも、前科はその人の属性を判断するための事実と考えられている。例えば、就職活動の際に雇用者が応募者に対して賞罰の有無を問うことは禁じられていないし、虚偽を申告して就職し、それが重大な経歴詐称といえる場合には懲戒解雇事由になるとされている。仕事の内容(特に幼児や児童と接する仕事など)によっては、経営者や企業・機関が、雇用しようとする相手が危険な人物でないかを判断材料とするために前科の有無や内容を、本人の申告によらずにチェックすることが必要な場合もあるだろう。それにもかかわらず、万引きも、配偶者に対する暴力も性犯罪も、その類型や内容を問わず、全ての前科事実を「プライバシーに関する事実」とするのは現実にそぐわないのではないか。


法律の根拠なく保管される前科前歴情報


実際に、日本では、前科や前歴(注2)は公開されていない。
検察庁が前科前歴情報を独占し、このうち前科情報を地方自治体にのみ共有するとされている。地方自治体は独自に作成する「犯罪人名簿」に前科情報を記録し、戸籍と紐づける。

検察庁に保管される前科は、一定期間の経過に伴い刑の言い渡しが消滅(刑法34条の2)してもなお本人が死亡するまで残る。前科だけでなく、逮捕されたのみで起訴されなかった事件、あるいは逮捕さえされなかった事件も「前歴」として記録され続ける。

こうした運用には法律上の根拠がない。検察庁による情報管理は、その内部規程に基づくもので、犯罪人名簿は大正時代の訓令による(注3)。そのため、犯罪人名簿の運用は、自治体によってまちまちだ。運用規程を作成して公表している自治体もあれば、公表していない自治体、さらには職員向けの内部のマニュアルがあるのみで規程さえ設けていない自治体もある(注4)。過去には、同姓同名の取り違えや、送付漏れなどの不適切な管理も起きたという(注5)。こうした、危うくも思われる運用の結果、前科前歴事実が誤って記録されても、自ら情報を得ることはできないため、正確性を確認できない。


前科を「消す」-Clean Slate-


前科を「プライバシー」と位置づける日本とは対照的に、アメリカでは前科や逮捕の記録は公の情報(public information)とされている。雇用者や不動産物件の賃貸人は、労働者や賃借希望者が危険な人物でないか、そのバックグラウンドをチェックするために前科を調べることが広く行われているという(注6)。裁判所の管理するウェブサイトから対象者の名前を検索し、所定の費用を支払い、前科の有無や内容を調べることができる

しかし、前科が公開され、こうしたバックグラウンドチェックが可能であるがために、前科のある人は、前科のない人と比べて、就職や住居確保、教育などに大きな不利益が生じていることがデータとともに実証され(注7)、貧困にもつながっていることが明らかになっていった。

こうした事態は、2度目のチャンス(second chance)を認めるアメリカの理念に反するのではないかーそうした懸念が広く共有され、前科の公開を制限・削除するという議論が全国に広がり、実際の実務や制度に結びついた。一般に"Clean Slate" と呼ばれる制度である("Clean Slate"とは、過去の出来事を忘れてやり直す状態や過程を意味する)。その内容は州によって異なるが、一定の軽微の犯罪について、再犯することなく所定の期間が経過した場合に、前科や逮捕記録を封印し、あるいは削除するというものである。多くの州で、一定の要件の下で前科の削除(Expunge)を可能にする法律が制定された。しかし、それには裁判所での手続を要し、要件も限定的だった

私が2014-2015年にカリフォルニア州サンフランシスコに留学した際、ロースクールや刑事公設事務所で、学生たちがプロボノ活動としてClean Slate Programに熱心に取り組んでいたのを覚えている。カリフォルニア州では、その頃、前科のある人の社会復帰を可能にするための法律が、住民投票などによって次々に成立した。2016年には、有罪判決に至らなかった被疑事実による逮捕の記録を封印する(seal)という法律も制定された(カリフォルニア州刑法851.91.  2018年1月1日施行。ただし、対象事件は軽罪と一定の要件を満たした重罪のみで、本人の申請に基づき裁判所が判断する)。

2018年、ペンシルベニア州は、他の州に先駆けて、一定の期間の経過とともに自動的に前科を封印するClean Slate Actを制定した(2019年6月28日施行)。この法律は、要約すると、第2級以下の軽罪(misdemeanor、ただし、DVなど暴力犯罪、銃器を用いた犯罪を除く)で有罪判決を受けた人について、判決から再犯することなく10年以上が経過した場合に、前科記録を封印することなどを定める(注8)。

後続する州の立法では、対象犯罪を広げ、犯罪類型ごとに期間を短くするものもあるようだ。現時点(2022年7月15日)で、合計7州でClean Slate Act(逮捕記録も含む前科情報を、所定期間の経過とともに自動的に消す)が制定されている(注9)。その他の州や連邦でも法案が提出され、議論がなされているという。


オープンな議論を


前科のある人の数や割合も、社会的背景も大きく異なるアメリカの議論をそのまま真似すべきだ、というつもりはない。アメリカにおいて、前科によって生み出された貧困や人種差別は、私の理解を超えるほど深刻なものだろうと思う。また、インターネット上に情報が残っている場合には、結局雇用者等に情報を知られるので救済として不十分という意見もあるだろう。

しかし、前科を公の情報とすることによって伴う不利益をどうやって解消するのか、国民が広く議論し、その対象や要件なども含めてオープンな場で検討することは、一度過ちを犯した人を許し社会に受け入れること、さらには、前科に対する偏見の軽減につながるのではないか。就職や学業、住居確保、さらには社会生活全般に生じる不利益を多くの研究者が検証し、具体的に明らかにした上で、新たな運動や立法につなげるという取組みは学ぶべき点が多い。
前科を消すことによって生じたメリットやデメリットについても実証的な研究が続けられている。前科を消した人の再犯率は極めて低いという研究もある。

他方で、前科の公開によって侵害される不利益を「新しく形成している社会生活の平穏」なる抽象的なものにとどめ、法律上の根拠なしに検察庁や自治体が、誰にも知られない秘密としてひっそりと管理する。そうした運用こそ、永遠に消えない烙印を押して「前科者」として蔑み、社会復帰を困難にするのではないか。雇用の場で尋ねることの可否も含めて、前科の位置づけについて、市民がオープンに議論する必要があるように思う。



(注1)前科前歴事実が「公共財」としての公的記録(public record)であることについて、高野隆、逮捕歴・前科はプライヴァシーか?、2022年6月26日

(注2)前科及び前歴の法律上の定義はないが、前科は一般に裁判所の審理を受けて有罪判決を受けることをいい罰金刑も含まれるとされる。前歴は、捜査機関による捜査の対象になったものの起訴や有罪判決に至らない場合をいい、無罪判決を受けた場合もこれに含まれる

(注3)Coline P.A. Jones, Japan Times, Privacy or rehabilitation? How criminal records are treated in Japan, 25 Mar 2021.

(注4)平成28年第4回八女市定例市議会議事録(9月7日)(八女市ホームページより)

(注5)同上。八女市市民課長は、犯罪人名簿の作成管理は1名の職員が担当しており、その手順として、検察庁から送られてくる封書を開封し、文書回覧後システムに入力後、受け取った通知はすぐにシュレッダーにかけると説明している。

(注6)前科による差別の解消を目指して、前科について尋ねることを制限する立法もなされている。例えばニューヨーク州は2015年、求職の初期段階(労働条件を提示する前の段階)で前科を尋ねることを禁じる法律"Fair Chance Act"を成立させた。その目的は、前科のある応募者を入口から排除するのではなく(Ban the Boxと呼ばれる運動)、その前科の内容が仕事に関連するか等個別に評価することを求める点にある。NYC, NYC Commision on Human Rights Legal Enforcement Guidance on the Fair Chance Act and Employment Discrimicnation on the Basis of Criminal History

(注7)Amanda Agan and Sonja Starr, The Effect of Criminal Records on Access to Employment, Am. Econ. Rev.: Papers & Proc. 107, no.5 (2017): 560-64.  

(注8)Kimberly E. Capudar, Can a Person's "Slate" Ever Really Be "Cleaned"? The Modern-Day Implications of Pennsylvania's Clean Slate Act, St.John's Law Review, Vol.94, No.2 (2021) を参照した。

(注9)Clean Slate InitiativeのHPより。














2022年7月7日木曜日

裁判の公開と、審理のインターネット配信

Depp v. Heard


俳優のジョニー・デップが元妻を訴えた名誉毀損の訴訟の様子が連日インターネットで中継され、当事者や証人、さらには代理人弁護士の一挙手一投足まで注目を集めた。

私も、原告代理人弁護士のCamille Vasquezさんの被告に対する反対尋問を見て以来彼女のファンになり、Youtubeで審理を視聴した。尋問の構成や質問の順番、陪審員に分かりやすい言葉選びや証拠の示し方、証拠法の深い知識に基づく異議などとても勉強になった。何より、証拠を読み込んで丹念に準備して裁判に臨んでいることが尋問の一場面を見ただけでも伝わり、その仕事ぶりに尊敬と憧憬の念を持った。キューバとコロンビア出身の両親を持つVasquezさんは、今やラティーノの女の子たちにとってロールモデルであり、多くの女性たちのインスピレーションになっているという(注1)。

裁判のネット中継には功罪がある。被告のAmber Heardは、法廷での表情や振る舞い、服装などが面白おかしく描かれ、貶められた。そして、私が知っている(と思っている)裁判は、あくまで一部を見たものに過ぎない。

しかし、それでも審理のネット公開には意味があると思う。有名俳優という公人の名誉毀損に対する巨額の賠償責任について、表現の自由に対する懸念を指摘する声もあるが、審理を見れば必ずしもそうではなく、証拠調べの結果、被告が嘘だと知りながら嘘をついたと証明されたに過ぎないことが分かるだろう(注2)。パートナーによる暴力の被害者が告発をためらう必要は全くないということもまた理解されるのではないか。これが、一部の報道を通して知るだけだったら、全く違う印象になっただろうと思う。


アメリカにおける審理の撮影と放映


アメリカは、裁判審理のネット中継を全面的に実施しているわけではない。むしろ、私の理解する限り慎重な態度をとっているように思われる。

連邦レベルでは、まず民事事件については、試験的運用とその検証が積み重ねられた結果、一部の裁判所(連邦地裁/高裁)で審理の放送が認められるに至った。他方、刑事事件では、法廷における審理の進行中の写真撮影や放送を許可してはならない(但し規則などで定められている場合を除く)旨が刑事訴訟規則で定められている(53条)。Covid-19の感染防止策として裁判傍聴が制限されるような場合は別として(注3)、刑事裁判の審理の放映は原則禁じられている。その理由として、証人や陪審員に不当な影響を与える可能性などが挙げられている(注4)。

社会を形作る重要なルールを示す連邦最高裁の審理は、特にネット公開を望む声が強い。過去に法案が提出された(注5)が、現在まで実現に至っていない。口頭弁論は、音声のみ録音され、インターネット上で聞くことができる。Covid-19により傍聴が制限されたのに伴い、音声の同時配信も始まった。映像を見ることができなくても、当事者がどのような主張をしたのか、裁判官がどのような質問をしたのか、口頭弁論の内容を音声や活字で知ることができる意味は大きい。

州レベルでの運用状況は様々である。民事事件についてはほぼ全ての審理を主宰する裁判官の許可のみで足りるとする州(カリフォルニア、テネシー、フロリダ、ジョージアなど多数)、当事者の同意を要件とする州(ミネソタやペンシルベニアなど)、州最高裁の許可を必要とする州(アラバマ、イリノイ)、全面的に禁止する州(ニューヨーク)に分かれる。撮影が許可される場合であっても、陪審員の選任手続などは除かれる例が多く、性犯罪については被害者の同意を要件とする例などもある(注6)。

刑事裁判のテレビ放映は、被告人の公正な裁判を受ける権利との関係で議論されてきた。1965年、ある詐欺事件の公判前手続中、テレビ・ラジオ放映のために法廷に配置された機材や記者の存在が手続を著しく妨げ、被告人の公正な裁判を受ける権利が侵害されたと連邦最高裁が判断し(Estes v. Texas, 381 U.S. 532 (1965))、以来、刑事裁判はテレビ撮影されなくなった。その後撮影技術の進歩に伴い、いくつかの州がテレビ撮影を再開。1981年、強盗事件の公判審理中に、テレビカメラの存在によって陪審員が萎縮したことによって公正な裁判を受ける権利が侵害されたか争われた裁判で、連邦最高裁が消極と判断した(Chandler v. Florida, 449 U.S. 560 (1981))のを受けて、各州でテレビ撮影・中継がされるようになった。

総じてみると、アメリカにおいては、審理の撮影・放送の得失について活発に議論し、試行錯誤しながら実施しているといえる。


裁判の審理を撮影・放映する意義


日本では、一部の最高裁判事から、最高裁の審理の動画配信に対する肯定的な意見が聞かれるようになったものの、実現の兆しはない。議論も活発化しない。それで良いのだろうか。

私たちには、報道を通じてのみならず、裁判を直接見聞きする権利がある。戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)の証人尋問の実況中継を通じて、当時の人たちは日本軍が戦地で何を行った/行わなかったのか初めて知ったとも聞く(注7)。裁判のネット中継は、そうした権利の保障に資する。

また、審理の過程がよく分からないために、裁判所の判断に対する信頼が損なわれているのではないかと思うことがある。最近でも、最高裁の判断が報道のみによって把握され、不正確な情報に基づいて批判される例を目にした。誤った情報に基づく議論は建設的ではないし、司法制度に対する不信を招くだけではないだろうか。刑事事件では、無罪が言い渡され、あるいは「寛大な」量刑の判断がなされると、判断した裁判官がしばしば批判される。しかし、その事件に関心を持った人が、インターネットを通じて審理の内容を知れば考えが変わるだろうし、そもそも証拠に基づく事実認定という裁判の成り立ちが理解されるだろう。ネット中継によるプライバシー侵害を懸念する声もあろうが、好奇に訴えるワイドショーで面白おかしく、時に脚色を交えて取り上げられるよりよほど健全と思う。

審理の中継、動画配信は、司法制度に対する信頼を高めるという意義がある。司法の示す判断がどのような事実のもとで作られているのか、私たちは報道を通してのみならず時に直接知る必要がある。裁判所が自らの信頼を高めるためにも、録画や中継によるメリット・デメリットを議論しながら、試験的な運用も含めて審理の中継を検討すべきだ。





(注3)第9巡回区連邦高裁は、Covid-19の影響により刑事公判の傍聴を制限する代わりの措置として、動画配信を求める被告人の申請を却下し、音声のみ配信する方法を採用した原判決の判断が、公開の裁判を受ける権利を侵害すると判断した(U.S. v. Allen, No.21-10060 (9th Cir., 2022) )。その理由として、音声の配信のみでは、証人の証言態度や展示される証拠を傍聴人が見ることができないと指摘している(p. 11)。

(注4)Congressional Research Service, Video Broadcasting from the Federal Courts: Issues for Congress, Updated on 28 October 2019, pp.20-22.

(注5)Congressional Research Service, Video Broadcasting from the Federal Courts: Issues for Congress, Updated on 28 October 2019,  p.1, pp. 12-13

(注6)RTDNA, Cameras in the Courts, State by State Guide, revised in 2015を参照した。

(注7)小林正樹監督『東京裁判』(1983年)

刑事裁判の公開と、判決宣告のオンライン配信ー刑事手続のIT化について考える③

1 判決宣告のテレビ撮影と配信 先日、刑事裁判の審理のインターネット配信をテーマに ブログ記事 を書いた。 これとは異なり、判決宣告の場面に限ってテレビ撮影し、オンライン配信やテレビ放映する制度を設けて運用する法域が存在する 。その背景には、オンラインによる審理の公開による問題(...