2022年7月7日木曜日

裁判の公開と、審理のインターネット配信

Depp v. Heard


俳優のジョニー・デップが元妻を訴えた名誉毀損の訴訟の様子が連日インターネットで中継され、当事者や証人、さらには代理人弁護士の一挙手一投足まで注目を集めた。

私も、原告代理人弁護士のCamille Vasquezさんの被告に対する反対尋問を見て以来彼女のファンになり、Youtubeで審理を視聴した。尋問の構成や質問の順番、陪審員に分かりやすい言葉選びや証拠の示し方、証拠法の深い知識に基づく異議などとても勉強になった。何より、証拠を読み込んで丹念に準備して裁判に臨んでいることが尋問の一場面を見ただけでも伝わり、その仕事ぶりに尊敬と憧憬の念を持った。キューバとコロンビア出身の両親を持つVasquezさんは、今やラティーノの女の子たちにとってロールモデルであり、多くの女性たちのインスピレーションになっているという(注1)。

裁判のネット中継には功罪がある。被告のAmber Heardは、法廷での表情や振る舞い、服装などが面白おかしく描かれ、貶められた。そして、私が知っている(と思っている)裁判は、あくまで一部を見たものに過ぎない。

しかし、それでも審理のネット公開には意味があると思う。有名俳優という公人の名誉毀損に対する巨額の賠償責任について、表現の自由に対する懸念を指摘する声もあるが、審理を見れば必ずしもそうではなく、証拠調べの結果、被告が嘘だと知りながら嘘をついたと証明されたに過ぎないことが分かるだろう(注2)。パートナーによる暴力の被害者が告発をためらう必要は全くないということもまた理解されるのではないか。これが、一部の報道を通して知るだけだったら、全く違う印象になっただろうと思う。


アメリカにおける審理の撮影と放映


アメリカは、裁判審理のネット中継を全面的に実施しているわけではない。むしろ、私の理解する限り慎重な態度をとっているように思われる。

連邦レベルでは、まず民事事件については、試験的運用とその検証が積み重ねられた結果、一部の裁判所(連邦地裁/高裁)で審理の放送が認められるに至った。他方、刑事事件では、法廷における審理の進行中の写真撮影や放送を許可してはならない(但し規則などで定められている場合を除く)旨が刑事訴訟規則で定められている(53条)。Covid-19の感染防止策として裁判傍聴が制限されるような場合は別として(注3)、刑事裁判の審理の放映は原則禁じられている。その理由として、証人や陪審員に不当な影響を与える可能性などが挙げられている(注4)。

社会を形作る重要なルールを示す連邦最高裁の審理は、特にネット公開を望む声が強い。過去に法案が提出された(注5)が、現在まで実現に至っていない。口頭弁論は、音声のみ録音され、インターネット上で聞くことができる。Covid-19により傍聴が制限されたのに伴い、音声の同時配信も始まった。映像を見ることができなくても、当事者がどのような主張をしたのか、裁判官がどのような質問をしたのか、口頭弁論の内容を音声や活字で知ることができる意味は大きい。

州レベルでの運用状況は様々である。民事事件についてはほぼ全ての審理を主宰する裁判官の許可のみで足りるとする州(カリフォルニア、テネシー、フロリダ、ジョージアなど多数)、当事者の同意を要件とする州(ミネソタやペンシルベニアなど)、州最高裁の許可を必要とする州(アラバマ、イリノイ)、全面的に禁止する州(ニューヨーク)に分かれる。撮影が許可される場合であっても、陪審員の選任手続などは除かれる例が多く、性犯罪については被害者の同意を要件とする例などもある(注6)。

刑事裁判のテレビ放映は、被告人の公正な裁判を受ける権利との関係で議論されてきた。1965年、ある詐欺事件の公判前手続中、テレビ・ラジオ放映のために法廷に配置された機材や記者の存在が手続を著しく妨げ、被告人の公正な裁判を受ける権利が侵害されたと連邦最高裁が判断し(Estes v. Texas, 381 U.S. 532 (1965))、以来、刑事裁判はテレビ撮影されなくなった。その後撮影技術の進歩に伴い、いくつかの州がテレビ撮影を再開。1981年、強盗事件の公判審理中に、テレビカメラの存在によって陪審員が萎縮したことによって公正な裁判を受ける権利が侵害されたか争われた裁判で、連邦最高裁が消極と判断した(Chandler v. Florida, 449 U.S. 560 (1981))のを受けて、各州でテレビ撮影・中継がされるようになった。

総じてみると、アメリカにおいては、審理の撮影・放送の得失について活発に議論し、試行錯誤しながら実施しているといえる。


裁判の審理を撮影・放映する意義


日本では、一部の最高裁判事から、最高裁の審理の動画配信に対する肯定的な意見が聞かれるようになったものの、実現の兆しはない。議論も活発化しない。それで良いのだろうか。

私たちには、報道を通じてのみならず、裁判を直接見聞きする権利がある。戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)の証人尋問の実況中継を通じて、当時の人たちは日本軍が戦地で何を行った/行わなかったのか初めて知ったとも聞く(注7)。裁判のネット中継は、そうした権利の保障に資する。

また、審理の過程がよく分からないために、裁判所の判断に対する信頼が損なわれているのではないかと思うことがある。最近でも、最高裁の判断が報道のみによって把握され、不正確な情報に基づいて批判される例を目にした。誤った情報に基づく議論は建設的ではないし、司法制度に対する不信を招くだけではないだろうか。刑事事件では、無罪が言い渡され、あるいは「寛大な」量刑の判断がなされると、判断した裁判官がしばしば批判される。しかし、その事件に関心を持った人が、インターネットを通じて審理の内容を知れば考えが変わるだろうし、そもそも証拠に基づく事実認定という裁判の成り立ちが理解されるだろう。ネット中継によるプライバシー侵害を懸念する声もあろうが、好奇に訴えるワイドショーで面白おかしく、時に脚色を交えて取り上げられるよりよほど健全と思う。

審理の中継、動画配信は、司法制度に対する信頼を高めるという意義がある。司法の示す判断がどのような事実のもとで作られているのか、私たちは報道を通してのみならず時に直接知る必要がある。裁判所が自らの信頼を高めるためにも、録画や中継によるメリット・デメリットを議論しながら、試験的な運用も含めて審理の中継を検討すべきだ。





(注3)第9巡回区連邦高裁は、Covid-19の影響により刑事公判の傍聴を制限する代わりの措置として、動画配信を求める被告人の申請を却下し、音声のみ配信する方法を採用した原判決の判断が、公開の裁判を受ける権利を侵害すると判断した(U.S. v. Allen, No.21-10060 (9th Cir., 2022) )。その理由として、音声の配信のみでは、証人の証言態度や展示される証拠を傍聴人が見ることができないと指摘している(p. 11)。

(注4)Congressional Research Service, Video Broadcasting from the Federal Courts: Issues for Congress, Updated on 28 October 2019, pp.20-22.

(注5)Congressional Research Service, Video Broadcasting from the Federal Courts: Issues for Congress, Updated on 28 October 2019,  p.1, pp. 12-13

(注6)RTDNA, Cameras in the Courts, State by State Guide, revised in 2015を参照した。

(注7)小林正樹監督『東京裁判』(1983年)

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